多様性を抱きしめる社会への一歩:ラグビーの教訓

“近年、日本社会では『多様性』が当たり前とされ、異なる出身地や育ちを持つ選手たちが集まるラグビー日本代表の文化は、その象徴と言えます。初めて行われた1987年の第1回W杯では、トンガ出身の選手、ラトゥ氏を含む2人が日本代表に選ばれました。そして、今年のフランス大会では計8か国の出身選手が、ひとつの「OUR TEAM(我々のチーム)」を形成しました。ラトゥ氏が日本代表の歴史を振り返ります。”

このネットニュースを読んで感じること

『多様性を大切にしなければならない』という言葉を頻繁に耳にしますが、現実はなかなかそれに追いついていないように思います。
少し他と異なるだけで、区別され、差別される社会が存在することが気にかかります。
これは子供たちにも同じことが言えます。
少し勉強ができない、少し落ち着きがない、少し他の子供たちと異なるだけで、それが区別の理由になってしまうのは本当に望ましいことでしょうか。
個別のサポートが重要と言われつつも、差別意識が助長されているように感じられます。

この問題は性別に関しても言えます。
最近、郵便配達の方が女性だったとき、誰かが「女性なのに、大変だね」と言っていました。
これは表面上は優しい言葉かもしれませんが、男女平等が進む時代において、女性であることを決めつけているように感じます。
私たちは無意識のうちに、何気ない言葉によって認識を形成してしまっているのです。
この認識を改革しない限り、多様性を尊重する社会にはなりにくいと感じます。

ラグビー代表資格には、国籍に関する厳格な要件があるようですが、それ以外にも国籍、血縁、地縁の3つの要件のうち、いずれか1つを満たせば代表になれるという柔軟性があります。
国を代表するために、国籍だけでなくその寛容さが多様性を受け入れる一翼を担っています。
そして、ラグビーの試合終了の合図は「ノーサード」です。
試合が終われば敵味方の区別はなく、みんな一つの思いを共有します。

ラグビーから、多様性の重要性についてのメッセージが伝わってきます。