「できる」だけが価値じゃない――裁量労働制と人の尊厳
誰もが大切にされる社会を目指して――裁量労働制から見えるもの
いま、日本の社会は大きな転換点に立っています。
さまざまな課題を乗り越え、元気な日本を取り戻し、豊かな暮らしを築こうという思いは、とても素晴らしいことだと感じます。
そんな中、先日「裁量労働制」の見直しが検討されているという話を耳にしました。
この制度について考えるとき、私はふと「優生思想」という言葉が頭をよぎり、少し不安な気持ちになりました。
裁量労働制とは、実際に働いた時間に関係なく、あらかじめ定められた時間分の報酬が支払われる制度です。
能力や成果に応じて報酬が決まるという考え方は、一見すると合理的に思えるかもしれません。
しかし裏を返せば、「能力がない」と見なされた人は、どれだけ努力しても正当に評価されにくくなる可能性もあります。
ここで私が思い出したのが「優生思想」です。
これは、「役に立つ人」が称賛され、「役に立たない人」が排除されるという考え方です。
そんな価値観が、知らず知らずのうちに社会に浸透してしまってはいないでしょうか。
最近、「包摂(ほうせつ)」という言葉を知りました。
包摂とは、障害の有無や出自にかかわらず、すべての人が社会の一員として受け入れられ、尊重されるという「社会的包摂(ソーシャル・インクルージョン)」の理念を指します。
誰も排除されず、分け隔てられない社会を目指す考え方です。
裁量労働制、優生思想、そして包摂――。この三つの言葉を通して、私たちが今、何を大切にし、何を忘れてはならないのかが見えてくるように思います。
それは、子どもたちの世界にも通じる大切な視点です。
世界各地で続く争いや、日本国内でも耳にする心ない言葉の数々。
そんな時代だからこそ、私たちは「誰もが大切にされる社会」のあり方を、もう一度見つめ直す必要があるのではないでしょうか。
子どもたちの世界もまた、同じです。
そこにこそ、私たちがともに生きる道があると、私は信じています。