今日は、個別指導(教えること)についてのお話です。

 よく個別指導と聞きますが、そんなに簡単なことではありません。

 問題の解き方を教えればいいのでは、と言いますが、 その子の持っている知識、理解、または、どんな考え方など、 子どもたちがどれだけわかっているかで指導は変わります。

 単に問題の解き方では、力がつかないというところです。

 昔、はるか昔、道徳の授業を多くの先生と検討したことを思い出します。

 あれこれ題材は何にするか、理解させたい価値はなにか、と。

 一番大事なのは、どんな発問にするかです。 すなわち、道徳的価値を理解させるために、どんな言葉で子どもたちに問いかけるかです。

 例えば、ある場面での主人公の思いを理解させるとき、

「この時、亜紀さんはどんな気持ちになったでしょうか。」

「この時、亜紀さんは何を考えたでしょうか。」

 この2つの発問は、同じようなことを聞いていても、まったく違うことを聞いています。

 その発問1つ1つを吟味し、子どもたちの心のありようを考えていかなければなりません。

 こうしたことは、教科の授業でも同じです。

 よく文章問題が苦手でということを聞きますが、 文章を読み取り、そこから数量関係を抽出し、それを立式するといったことを考えなければなりません。

 単に数字に着目するだけでは、理解したことにはなりません。

 よく小学校の授業で、「はい、数字に下線を引いて、、、」と指導する場面もありますが、 それでは文章題が解けるようになりません。

 ここでは、まずは自分で問題を読んで取り組み、 それでわからなければ、問題を音読して考えさせています。

 おおむね、それで理解できる子は多くいます。

 それでもわからない場合、 私の前で、文章題の1つ1つの言葉、文を読ませ、 その意味を問い、答えさせ、1つ1つの場面を理解させながら指導します。

 その場合、さし絵に着目したり、絵や図、表を書き入れて指導をします。

 この指導がとても重要で、とてもむずかしいところです。

 また、1つ1つの発問は、子どもたちが理解できる言葉でなければなりません。

 教えるとは、本当にむずかしいということです。

 子どもたちとのやりとりを繰り返し、 問題を読み取る力を培っていかなければと思っています。

 参考に、ここ何年か中学校の数学の問題は、思考力育成といい、文章での問いが多くなっています。 しかし、残念なことに、授業でその問題を解くための指導は不十分です。

 ここでの個別指導のように、1つ1つの問題を読み、その問いを理解させ、求め方を考えさせていく、 そんな指導がとても重要であるということです。